安城工場開設について

今回は、2003年3月に開設された安城工場についてのブログです。
安城工場を開設してから、あっという間に22年が経ちました。創業当時、碧南本社の周りは野原だったのですが、その後住宅地域になってきました。そのため、できれば工場を専用とする環境に移転したいと思っていました。
2002年1月、同業の会社様から廃業を考えているので、借りるか買うかどちらでも良いですが、どうでしょうか?と相談を受けました。同業の中で、当社だけに相談していただけたのです。その時の景気は良くなかったし、先も見えない状況でした。
私は「動機善なりや、私心なかりしか」という稲盛和夫さんの言葉を基準にしました。動機の善悪について自問自答を繰り返しました。その動機が善であるのだと判断して、安城工場を購入することを決意しました。
判断する基準として、自分の利益や都合、格好などというものでなく、私心が無く、社員さんのためになるか、仕入先のためになるか、お客様のためになるか、地域のためになるかどうか、つまり会社に関わる全ての人に対して、良いことであるかどうかということを基準に判断しました。
京セラの稲盛和夫さんは、KDDIを創る時も(JR系、トヨタ自動車系に比べ一番不利と言われていて、結果1番となり、今のauになっています)JALを再生する時も(給料無しの日も)他のすべての判断をこの基準を基に判断され成功に導き世のため人のためにつくされてきました。
多くの経営者、リーダーがこの教えを基に困難にも立ち向かい逆境を乗り越えうまくいっています。

安城工場開設後
安城工場を開設して、3年間やってみて採算が取れなかったら撤退ですねと、会計士に言われていました。3年の間にほぼ毎日17時間仕事をしていました。睡眠時間は3時間で平気でした。丸々一日を休むのは3年間に10日くらいでした。しかし、今までの経営の勉強をすべて活かすことができたので、苦痛だと感じることはありませんでした。
一年半の間に、3つの塗装ラインを立ち上げました。初めて来社されたお客様は「すごいね」と言われました。当時、私は何がすごいのか分かりませんでしたが、同業者が見に来た時、「勢いだよね。一気に3ラインだからね」と言われ、やっと意味が分かりました。
はじめは今のAラインだけの10人でスタートしました。今は安城工場だけで約80人の規模になっています。
安城工場を開設することで、毎晩夜中12時過ぎまでやっていた碧南工場の負担を減らせたこともあり、お客様の信頼もよりいただき、開設できて良かったと思っています。